第21回「角屋」

(H17.11.9)

京都の花街では、祇園が有名ですが、今回は、島原の揚屋「角屋」をご紹介しましょう。
輪違屋
角屋は、江戸時代の揚屋建築の代表であり、京の唯一の揚屋として有名です。

「置屋」が、太夫や舞妓を抱えるプロダクションで、「茶屋」がそれらの女性を呼んで、仕出しをとっての宴会場としての場所貸し業に対し、「置屋」は、茶室があり、自ら料理をつくり、“もてなし”という総合的な時間と空間を提供していた、まさに最高ランクの文化施設だったのです。

京都でも大石内蔵助が利用したことで有名な祇園の「一力茶屋」で芸者を上げるのが旦那衆の憧れですが、実は「角屋」の方が、ランクが上でした。

※置屋としては、この角屋のすぐそばにある「輪違屋」が、置屋建築の代表として現存している。尚、輪違屋には、今も現職の太夫がいる。

しかし、幕末に近くの壬生村に駐屯した新撰組に、単なる酒宴会場として利用されたり、その後(戦前)赤線・青線と呼ばれた遊郭に近かったことから、残念ながら「角屋」のイメージ、そして「島原太夫」のイメージは、違った方向に向かってしまったのです。

NHKテレビが、一昨年放送した大河ドラマ「宮本武蔵」は、ご記憶に新しいと思いますが、その中で、本阿弥光悦が、堅物で闘争心むき出しの武蔵を、この角屋に連れて行き、小泉今日子扮する吉野太夫と引き合わせ、一晩を過ごさせたというシーンがありました。
私も、なるほど、角屋とは人に聞いていたとおり、そういう場所で、太夫とは、東京の花魁太夫と同じ職業の女性のことと思って見ていました。

この角屋を訪れ、話を聞いて、まったく違うということを知りました。

昔の揚屋とは、お昼からお茶をたしなみ、歌を詠み、庭を眺め、音楽や踊りを干渉し、夕方には、懐石料理を食べて、御酒をいただき、適度な時間に退散するという、実に文化的な施設だったのです。
そして、太夫は、才女の代表であり、そんな教養人の相手ができるホステス役であり、肌を交えることなどまったくなかったそうです。

その証拠に、角屋には宿泊の設備はまったくなく、どんなに偉い客人が酔っ払ってつぶれてしまっても、自家用のかごで、自宅まで送って行ったそうです。

角屋おもてなしの文化美術館
京都人の中にも、この話を知る人はほとんどなく、角屋と太夫の歴史は、誤解されたままです。

ちなみに、角屋の当主は、NHKと脚本家に謝罪と訂正を求めているのですが、いまだに誠意ある回答がなく、以後NHKには一切の取材を断っているのだといっていました。

特に、角屋の名誉回復ではなく、太夫という職業女性の名誉回復が、一番の目的だそという言葉が印象的でした。




上記写真から、日本建築とは思えないアールデコと線の表現をご覧ください。

さらに、今は養生中ですが、この御用の松を見てもらうために、柱が邪魔だということで、この部屋の天井は、吊り天井にしてあるそうです(うまく室内から写真が撮れませんでした)。

揚屋建築とは、まさに生涯の思い出に残るぐらいの“おもてなし”の演出がふんだんに凝らしてある建築様式です。

京都通の方には、名所としてだけではなく、建築物、あるいは空間造形美術として、是非一度、拝観なされることをお薦めします。