第28回「節分際」

(H18.2.4)

東京的感覚では、節分と言えば、有名人が豆をまくイベントを思い出しますが、京都では、いたるところで節分祭が行われていました。

ここは、幕末に新撰組が駐屯した最初の地として有名な、壬生寺です。
京都では、節分に一年間の無病息災をお願いするお寺の一つとして、昔から有名ということで、行って来ました。

雪がちらつく寒さでしたが、大勢の観光客ではなく、市民が訪れていました。
壬生狂言
この壬生寺は、壬生狂言の地としても有名で、新撰組を受け入れた、壬生村の衆が、代々受け継いできた伝統芸能で、重要文化財にも指定されています。


京都では、この壬生寺だけでなく、町中の神社やお寺で様々な催しがあり、節分とは単に豆をまくだけではなく、暦の節目として、大きな意味のある日なんだということが実感できる町だということが、何よりも感心しました。

食卓にも、いわし料理が必ず出てきます。
節分は、いわしを食べる日でもあるのです。

それにしても、社会貢献性の欠乏した、事件が続いていますね。
これも、バブル経済及びその崩壊後の後遺症なのでしょうか。
人の心が希薄になって、お金のことが余りに重視されてきているように感じます。
人も企業も。

「夢」と「欲」、「希望」と「富」を是非、峻別して、節目の行事をお迎えいただきたいと思います。

今日は立春、待ちに待った春の到来です。
それにしても、今年の冬は、寒かったですね。