第40回「京都の空襲と油屋さん」

(H18.9.10)

京都は空襲を受けなかった町だと思っていました。
実は、帯の町・西陣地区にB-29の空爆があったので
す。
始めて知りました。

先日、京町家の保存でがんばっていらっしゃる、西陣の山中油店で行われたセミナーにお邪魔した際、始めて知って驚いたことがあります。
それは、京都にも空襲があったことでした。

昭和20年6月26日朝9時半ごろ、B-29の編隊6〜10機が京都の上空に現れ、そのうち1機が250キロ爆弾10個を落として行き、軍事施設も何もないこの地域の住民60名が死亡したとのことでした。

10機のうちの1機だけからということから、おそらく、どこかの空爆目的地で落としそびれた爆弾を、燃料節約のために、指示もなく処分して行ったのでしょうか?

これがその時の破片の一つだそうです。

山中油店の裏のお寺にも、その内の1個が落ちたのですが、幸いにというか、奇跡的に、寺の1メートル四方ほどの井戸に“すっぽり”はまり、爆弾は井戸の底で爆発しました。そのお陰で、江戸時代から続くこの風格ある商町家は、21世紀の今も残っているのです。

山中油店は、江戸時代から5代続く老舗で、特に明治時代に本業で儲けたお金で京都中で土地を手に入れ、町家を造り借家として市民に貸していた巨大大家さんです。

戦後、GHQが大地主から莫大な税金を取り立て、大地主制度を解体していったのですが、今でもその借家の数は百軒近くにのぼるそうです。

不動産で財を成してきた豪商や豪農は他にもいますが、私が感心したのは、戦後の高度成長期、特にバブル経済時代は、大地主が地上げ屋にそそのかされてマンションを竹林のようにどんどん建設して行った時代にも、一切目もくれず、町家を残し、ひいては、京都伝来の町並みを残してこられたことです。

正直、斜陽産業の一つであったはずの本業だけでは固定資産税を払うのも大変だったことと思いますが、そんな中でも、ガンとして土地を手放さずに町家を維持されてきた功績は、今にして大変大きいものがあります。
山中油店
現在は、店の向かいの借家だった町家の一つを「京・町家文化館」として、市民や観光客に開放され、町家の魅力を伝える活動をされています。

「水車のある西陣の油屋さん」と言えば、対外のタクシーの運転手も知っていますから、京都の寺院めぐりに飽きられた方は、是非訪れてみてはいかがですか。