第44回「幼児虐待事件に思う」
(H18.10.25)
京都府長岡京市で、また心が痛くなる事件が起こってしまいました。
でも、今回の事件の背景に、ほっとした部分もありましたので書きます。
悲しい事件で、「ほっとした部分」と書くのは、ためらいがありますが、今回のニュースを聞いた瞬間に、今年の早春に起こった、京都伏見区の介護の限界を感じた息子による母親殺人事件(「地裁が泣いた」としてこのブログでも紹介しました)が、直ぐに頭をよぎりました。
でも、ニュースを読むにつれ、あの事件より良かったと思う部分があり、ほっとした部分があったのです。
それは、ご近所の住民の皆さんが兆候に気づき、たまに子供に食べ物を与えるなどの行動をし、行政にSOSを発していたことです。
それは、ご近所の住民の皆さんが兆候に気づき、たまに子供に食べ物を与えるなどの行動をし、行政にSOSを発していたことです。
伏見の母親殺人事件では、行政だけでなく、地域の住民も気づかなかったことについて危惧しましたが(このブログで、そのことを警告しました)、今回はそうではなかったということが、私は重要に思います。
どちらの事件も、行政の責任は大きいですが、今回の方が、ずっと行政に対する説得力が大きいのです。
どちらの事件も、行政の責任は大きいですが、今回の方が、ずっと行政に対する説得力が大きいのです。
子供を持つ親としては、幼児の気持ちを想像しただけで涙が出てきますが、今回の事件は、行政のシステムを反省させるに十分な背後の要因がありました。
そして何より、この事件によって、この地域は、ますますコミュニティーの大切さを実感し、より良いまちづくりを実現することでしょう。
その点で、伏見の事件より、少しは救われた気持ちがしましたので、誤解を恐れず「ほっとした」と書いてみました。
そして何より、この事件によって、この地域は、ますますコミュニティーの大切さを実感し、より良いまちづくりを実現することでしょう。
その点で、伏見の事件より、少しは救われた気持ちがしましたので、誤解を恐れず「ほっとした」と書いてみました。
現実、事件の直後から、地域のいろんなグループで、勉強会が始まっているようです。
行政も、事前に住民からの要請があったことに対し、かなり立場を悪くしています。
たとえ残念ながら結果は同じでも、地域によるコミュニケーションがあったかなかったかは、その後の動きに大きく違いをもたらします。
是非、参考にしてください。
行政も、事前に住民からの要請があったことに対し、かなり立場を悪くしています。
たとえ残念ながら結果は同じでも、地域によるコミュニケーションがあったかなかったかは、その後の動きに大きく違いをもたらします。
是非、参考にしてください。
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