第48回「いじめ問題に思う」
(H18.12.18)
政府の教育審議会でもいじめの問題に対する対策が協議されていますが、どうも疑問に感じることがあります
教育改革の一環として、民間から有識者を集めて、審議会が開かれていろんな答申を準備しています。
税制調査会など、どの問題の審議会でも同じですが、有識者の人生観や思想感により、大きく答えが変わってくるから責任重大です。
要は、その有識者のチョイスにかかっているといった方がよいでしょうね。
税制調査会など、どの問題の審議会でも同じですが、有識者の人生観や思想感により、大きく答えが変わってくるから責任重大です。
要は、その有識者のチョイスにかかっているといった方がよいでしょうね。
さて、教育審議会の最初のテーマとして、いじめ問題が検討されました。
そして、いじめる子に対して、隔離する方法、中には、登校停止案までまじめに議論されました。ニュースでも報道されましたね。
その中間報告を受けて、京都の某公立高校の生徒会が、「いじめる側の特定は無理だ!」と、現場?の声を上げたのです。
そして、いじめる子に対して、隔離する方法、中には、登校停止案までまじめに議論されました。ニュースでも報道されましたね。
その中間報告を受けて、京都の某公立高校の生徒会が、「いじめる側の特定は無理だ!」と、現場?の声を上げたのです。
いじめている側の加害者は、集団心理として無意識にしていることが多く、いじめているという意識はあるのでしょうか?
そんなこと言えば、大人の社会なんて、肩書きや株式保有関係、下請け元請け関係、発注関係、学歴、職的地位、リストラ問題、正社員と派遣社員など、いじめに近い現象は一杯あります。
そんなこと、地位的上位に位置する人間は、意識していないでしょう。
でも、地位的下位に位置する者は、はっきり意識させられているものです。
そんなこと言えば、大人の社会なんて、肩書きや株式保有関係、下請け元請け関係、発注関係、学歴、職的地位、リストラ問題、正社員と派遣社員など、いじめに近い現象は一杯あります。
そんなこと、地位的上位に位置する人間は、意識していないでしょう。
でも、地位的下位に位置する者は、はっきり意識させられているものです。
私、思うのですが、いじめる側の加害者に罰則を与えるのではなく、いじめられている者に対し、声をかけてあげられる勇気を持った子供を一人でも増やすことに議論のテーマを切り替えた方が良いと思います。
いじめの問題だけではなく、今、いろんな弱者が孤立しています。
経済弱者や独居老人、障害者、介護家族、難病患者など、いじめにあっている子供だけではなく、多くの助けを求めている人がこの国だけでも増えています。
この弱者にとって一番有難いことは何でしょう?
まずは、声をかけてくれることではないでしょうか。
いじめの問題だけではなく、今、いろんな弱者が孤立しています。
経済弱者や独居老人、障害者、介護家族、難病患者など、いじめにあっている子供だけではなく、多くの助けを求めている人がこの国だけでも増えています。
この弱者にとって一番有難いことは何でしょう?
まずは、声をかけてくれることではないでしょうか。
例えば、電車の中でも、お年寄りに席を譲るのは、頭では発想できても、照れもあり、現実に声に出すのは勇気が要ります。
まして、いじめられている子供に関し、皆知って知らぬ振りをしているだけで、心の中では、「かわいそうに」と思っている子供は多いと思います。
勿論、その子に声をかけると、今度は自分もいじめられるかもしれません。
でも、それでも、声をかけられる子供が一人でも増えてくれればと感じるのは、私だけでしょうか。
この勇気は、訓練しだいで平気になるものです。
大人の世界でも、ボランティアで積極的に弱者に力を貸している人もいれば、自分の家族の幸せだけを考えて他にかかわることをいあやがる人もいます。
まして、いじめられている子供に関し、皆知って知らぬ振りをしているだけで、心の中では、「かわいそうに」と思っている子供は多いと思います。
勿論、その子に声をかけると、今度は自分もいじめられるかもしれません。
でも、それでも、声をかけられる子供が一人でも増えてくれればと感じるのは、私だけでしょうか。
この勇気は、訓練しだいで平気になるものです。
大人の世界でも、ボランティアで積極的に弱者に力を貸している人もいれば、自分の家族の幸せだけを考えて他にかかわることをいあやがる人もいます。
昔は、もっと人の世話を焼いた大人が多かったと聞きます。
是非、このような「勇気のある子供を作る」ことが教育の本質と捉え、教育改革はそこから発想して欲しいと思います。
「愛国心」も良いですが、ちょっと教育の本質を捉え違ってはいませんか。
ゆとり教育は、実はこんなことを考えるゆとりのある教育を目指すために始まったのですが、いつの間にか学力(成績)中心主義に戻ってしまった、いや、以前よりますますそうなってしまってはいませんでしょうか。
是非、このような「勇気のある子供を作る」ことが教育の本質と捉え、教育改革はそこから発想して欲しいと思います。
「愛国心」も良いですが、ちょっと教育の本質を捉え違ってはいませんか。
ゆとり教育は、実はこんなことを考えるゆとりのある教育を目指すために始まったのですが、いつの間にか学力(成績)中心主義に戻ってしまった、いや、以前よりますますそうなってしまってはいませんでしょうか。
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