第7回:小室直樹の中国原論

近づくにつれ、遠ざかる中国。
かの国の人をどのように理解するか。その参考として、日本最高の社会科学者である小室直樹氏が10年前に著した「小室直樹の中国原論」徳間書店刊のエッセンスを紹介します。
(H17.9.26.)

中国人理解の鍵は「帮;;」(ほう)にあり

帮;;とは何か。根源的人間関係、あるいは、最も親しい朋友関係、自己人(ツーチーレン)とも呼びます。
代表例が三国志の劉備、関羽、張飛の関係です。桃園で義盟を結ぶことによって義兄弟となった三人の契りは、血を分けた兄弟より固い契りです。このような契りのことを帮;;と呼びます。
帮;;内の人間は、利害、争いから完全に自由で、絶対の信頼、完全の理解、そして、生死を共にしようとします。

しかし、帮;;内の人間関係と帮;;外の人間関係とは全く異なります。
帮;;内では、生死を共にするほどの最高の倫理・道徳が支配していますが、帮;;外の人に対しては、窃取、略奪、殺戮やりほうだい。つまり、集団の内と外での、倫理・道徳は全く違ったものとなります。

内と外で全く異なる規範が存在する中国社会における一つの共同体がこの帮;;であり、もう一つの共同体が、血縁共同体である宗族(そうぞく)です。(宗族についての解説はここでは省略します。)

中国人に対しては、絶対に信用できる、絶対に信用できない、という意見に二分されます。
あたかも、絶対に信用できる中国人と、絶対に信用できない二種類の中国人がいるように思えますが、
実は、対象となるその中国人と帮;;を形成できれば絶対に信用でき、帮;;の外なら絶対的に信用できないことになります。

日本人が注意しなければならないことは、中国人の規範では、
個人間の結合の鉄則が、一般社会のルールより優先するということです。
この個人結合の鉄則は、ときに職権を濫用してまで遵守されなければなりません。
つまり、中国では特定集団内の規範が、社会の普遍的規範よりも優先する(ことがあります)。

例えば、中国人と会う約束をしようとします。
その時間に先約があれば、断るのが日本人(欧米人も同じ)ですが、俺との人間関係が大事だろう。
先約ぐらい断れ、というのが、人間関係を大切にする中国人の規範です。

もちろん、人間関係の結合には、帮;;までは達しない緩やかな結合もあります。
その結合の度合いを示せば、次の通りです。
帮;;>情誼>関係>知り合い
先約を断れないようでは、「知り合い」まではともかく、どんなにがんばっても「関係」の範疇にすら入ることはできません。

中国における法治とは

「中国は人治の国で法治の国ではない。」というという多数意見の一方で、「中国人ほど法律を振り回す人はいない。」と嘆く人もいます。
近代資本主義社会では、「事情変更の原則はみとめない」というのが大原則であるにもかかわらず、個人のみならず、政府・行政機関も約束・契約を平気で反古にします。
なぜか。
この疑問の回答は、韓非子を源流とする「法家」の思想にあります。

中国における国家としての統一は、秦の始皇帝が法家の思想を実現することにより、達成されました。
政治の要諦は「法術」である。「法」とは法律を作ること。「術」とは、法を施行するための役人の操縦法。これが「法家」の思想です。

秦の始皇帝没後の漢帝国以降、中国は儒教の国だといわれています。しかし、大切なことは、中国における統治機構は、実は二重構造であったという事実です。
表向きは儒教で国を治め、実際は法家の思想で統治してきました。このことを「陽儒陰法」といいますが、中国は国家統一以来、法家の思想による法治国家であったのです。

ではなぜ、日本人(欧米人も同じ)から見て、前述の問題が生じるのか。
問題は法治国家かどうかではなく、「法」そのものの概念にあります。
清教徒革命、アメリカ独立宣言、フランス革命等に一貫して流れる精神は、法律とは権力に対する人民の抵抗であるという思想です。
しかし、法家の思想、中国の法概念には、このような、「法律とは政治権力から国民の権利を守るものである。」という考えが全くありません。
それも当然のことで、法家の思想における法律とは、統治のための方法であり、法律は為政者、権力者のものだからです。
したがって、法律の解釈はすべて役人が握っています。
韓非子もはっきりと言っています。
法律を解釈するときは、役人を先生としなさいと。

端的にいえば、役人(行政官僚)は、法律を勝手に解釈していいということであり、さらに、統治のために都合が悪くなったのなら、勝手に改変・廃止してよいのです。
(日本における通達行政や行政指導は、法家の思想における法術の発想です。)

長く中国で苦労された方は、「中国は法治国家ではなく、法律がない。」といいます。
しかしそれは、近代デモクラシー諸国における法律がない、ということであり、中国には、中国の法律があります。ただし、その法律体系が韓非子によって完成された法家の思想による法律体系なのです。

もし、中国におけるビジネスで、法の解釈者たる高級行政官僚と、帮;;的な人間関係を形成できていたとすれば、人治か法治か、ということではなく、人治かつ法治が実現し、全ての問題は解決します。

しかし、そういう関係が、我が方ではなく、競争相手にあったとすれば、全ての行為が徒労に終わってしまったでしょう。

中国よ、どこへ行く(クオバデス)

「小室直樹の中国原論」の出版から10年が経過し、その間に、中国社会は国際社会に大きく開かれました。
さらに、アメリカを中心とする大量の海外留学の帰国によって、ハングリー精神と合理精神を兼ね備えた優秀な人材が大量に出現しています。
したがって、中国の近代化、高度成長は、間違いなく、確実に実現するでしょう。

しかし、マックス・ウエーバーが名著「プロテスタンティズム倫理と資本主義の精神」で解明したように、近代資本主義は、利潤追求の欲望ではなく、労働そのものを救済とする、プロテスタンティズムの倫理によって作られ、維持されています。(日本的資本主義も労働を救済とする勤勉の精神がその根底にある。)

したがって、中国が近代化を達成し、ハングリー精神を失った時、倫理なき資本主義社会が出現し、カール・マルクスの予言通り、疎外された資本主義社会となり、崩壊します。
そのとき、中国よ、どこへ行く
(クオバデス)