第8回:武士の家計簿
武士の家計簿:磯田道史著:新潮新書
「加賀藩御算用者の幕末維新」という副題で、
武士の家計簿から家族制度まで、興味深い新書が発行されています。
「加賀藩御算用者の幕末維新」という副題で、
武士の家計簿から家族制度まで、興味深い新書が発行されています。
(H17.10.1.)
この本は、タイトルの通り、武士の家計簿について書かれていますが、
ここでは、武士の家計簿以外の、
家族制度に関する内容を引用し、ご紹介します。
ここでは、武士の家計簿以外の、
家族制度に関する内容を引用し、ご紹介します。
『江戸時代は、武家に限らず養子のさかんな社会であった。
しかも、婿養子が多い。
婿養子はすこぶる日本的な制度である。
中国や朝鮮には婿養子は少ない。
「祖霊は男系子孫の供物しかうけつけない」とする厳密な儒教社会からみれば、
日本の婿養子制度はおよそ考えられない「乱倫」の風習である。
…加賀藩士の場合、実子が家を継ぐ割合は57.6%にすぎず、弟・甥などが家を継ぐ場合が7%、養子・婿養子が家を継ぐ場合が35%であった。』
しかも、婿養子が多い。
婿養子はすこぶる日本的な制度である。
中国や朝鮮には婿養子は少ない。
「祖霊は男系子孫の供物しかうけつけない」とする厳密な儒教社会からみれば、
日本の婿養子制度はおよそ考えられない「乱倫」の風習である。
…加賀藩士の場合、実子が家を継ぐ割合は57.6%にすぎず、弟・甥などが家を継ぐ場合が7%、養子・婿養子が家を継ぐ場合が35%であった。』
日本人は儒教を
「教養」あるいは、「賢者の教え」として受容し、
宗教としての儒教を都合よく亡失して来ました。
宗教は、日常生活や家族制度の規範であり、
かつ、本来は、イスラム教やユダヤ教のように
宗教的戒律そのものが、社会規範であり、社会や国家の法律と全く同一となりうるものです。
儒教そのものも
世界4大宗教の一つであり、
とりわけ、家族制度については、厳しい宗教としての規範があります。
宗教としての儒教としては、
養子縁組その他の日本的風習は「乱倫」そのものであることを、知識として知っておくべきでしょう。
「教養」あるいは、「賢者の教え」として受容し、
宗教としての儒教を都合よく亡失して来ました。
宗教は、日常生活や家族制度の規範であり、
かつ、本来は、イスラム教やユダヤ教のように
宗教的戒律そのものが、社会規範であり、社会や国家の法律と全く同一となりうるものです。
儒教そのものも
世界4大宗教の一つであり、
とりわけ、家族制度については、厳しい宗教としての規範があります。
宗教としての儒教としては、
養子縁組その他の日本的風習は「乱倫」そのものであることを、知識として知っておくべきでしょう。
『第二次大戦前の家制度のもとでは、女性の財産権は制限されていた。
近代日本の家制度は、江戸時代の武家の制度がもとになっているといわれるから、我々は武家の女性と聞くと「財産権も弱く、しいたげられていたのではないか」と思いがちである。
たしかに、武家の女性は特殊な例を除いて、家の相続権はない。
また、少女時代は男子にくらべ、一段下におかれていたといってよい。
嫁に入ってからも、辛抱させられることが多かったであろう。
しかし、男の子を産み、やがて、その子が成長して「母上様」となり、孫ができ「おばば様」となると、家庭内の地位は格段に向上していった。
猪山家でも、さんざんに小遣いをつかっているのは、当主を生み嫡子を産み、母となった女たちである。
武家女性の地位は「年齢と出産」によって変化するものであった。』
近代日本の家制度は、江戸時代の武家の制度がもとになっているといわれるから、我々は武家の女性と聞くと「財産権も弱く、しいたげられていたのではないか」と思いがちである。
たしかに、武家の女性は特殊な例を除いて、家の相続権はない。
また、少女時代は男子にくらべ、一段下におかれていたといってよい。
嫁に入ってからも、辛抱させられることが多かったであろう。
しかし、男の子を産み、やがて、その子が成長して「母上様」となり、孫ができ「おばば様」となると、家庭内の地位は格段に向上していった。
猪山家でも、さんざんに小遣いをつかっているのは、当主を生み嫡子を産み、母となった女たちである。
武家女性の地位は「年齢と出産」によって変化するものであった。』
豊臣秀吉没後の豊臣家では、「淀君」が大変な実権を持っていたといわれています。
その権力の根源あるいは正当性は、
地位(正妻ではない)でも、経済力でも、血統でもなく、
秀頼の「おふくろ様」としての権原です。
その権力の根源あるいは正当性は、
地位(正妻ではない)でも、経済力でも、血統でもなく、
秀頼の「おふくろ様」としての権原です。
『武家の女性は、生涯にわたって、実家との絆が強い。
お嫁にいって7年とか10年とかたつのに、
猪山家の娘たちは、実家の父と弟からお小遣いを毎年もらっていたのである。
夫と妻の財産は、むしろ我々よりも明確に分かれていた。
猪山家の家計簿にも、直之が「妻より借り入れ」と書き込んだ箇所がある。
つまり、妻の財産は、猪山家財産とは別会計になっており、夫婦であっても借金をする形になっている。
ただ、さすがに利子は取っていない。』
お嫁にいって7年とか10年とかたつのに、
猪山家の娘たちは、実家の父と弟からお小遣いを毎年もらっていたのである。
夫と妻の財産は、むしろ我々よりも明確に分かれていた。
猪山家の家計簿にも、直之が「妻より借り入れ」と書き込んだ箇所がある。
つまり、妻の財産は、猪山家財産とは別会計になっており、夫婦であっても借金をする形になっている。
ただ、さすがに利子は取っていない。』
『岡山藩士の婚姻届出簿をみてみると、
婚姻届356件中36件は後に離婚したという書き込みがある。
武士の結婚と離婚を日本で一番詳しく記録していると思われる史料は、
宇和島藩の家中由緒書である。
生涯にわたって精密な記録が残っている32人の宇和島藩士について調べた結果、
全体の4割にあたる13人が離婚経験者だったのである。
うち5人は離婚を2回経験していた。
しかも、宇和島藩士の妻たちは離縁されても、さっさと再婚していた。
「貞婦は二夫にまみえず」などというのは全くの嘘である。
農民女性はおろか、武家女性についても絶対にあてはまらない。
宇和島藩士の結婚カップル56組を追跡すると、
わずか3年で20組が離死別している。
20年も継続した結婚は4分の1にすぎない。』
婚姻届356件中36件は後に離婚したという書き込みがある。
武士の結婚と離婚を日本で一番詳しく記録していると思われる史料は、
宇和島藩の家中由緒書である。
生涯にわたって精密な記録が残っている32人の宇和島藩士について調べた結果、
全体の4割にあたる13人が離婚経験者だったのである。
うち5人は離婚を2回経験していた。
しかも、宇和島藩士の妻たちは離縁されても、さっさと再婚していた。
「貞婦は二夫にまみえず」などというのは全くの嘘である。
農民女性はおろか、武家女性についても絶対にあてはまらない。
宇和島藩士の結婚カップル56組を追跡すると、
わずか3年で20組が離死別している。
20年も継続した結婚は4分の1にすぎない。』
『武家の女性は結婚したからといって、
決して実家から切り離されるものではなかった。
常に実家との強い絆を維持しており、死んで葬られる時も
「猪山○○妻、△△氏」というように、実家の姓が墓石に刻まれたのである。』
決して実家から切り離されるものではなかった。
常に実家との強い絆を維持しており、死んで葬られる時も
「猪山○○妻、△△氏」というように、実家の姓が墓石に刻まれたのである。』
『江戸時代の結婚には、未婚でも既婚でもないグレーゾーンの
「結婚しつつある状態」
が存在したのが特徴である。
……このような「お試し期間」は珍しいことではなかった。
教育史の太田素子氏も、
土佐下級藩士のイトコ結婚をとりあげ
「この結婚に無理がないかどうかを確かめる試行期間」
があったとしており、結婚前に四ヶ月も同居生活をさせた例を紹介されている。
なお、
イトコ同士の結婚については、
宗教としての儒教からは、乱倫も乱倫、
むしろ犯罪ですし、
お試し期間も、当然乱倫に該当します。
「結婚しつつある状態」
が存在したのが特徴である。
……このような「お試し期間」は珍しいことではなかった。
教育史の太田素子氏も、
土佐下級藩士のイトコ結婚をとりあげ
「この結婚に無理がないかどうかを確かめる試行期間」
があったとしており、結婚前に四ヶ月も同居生活をさせた例を紹介されている。
なお、
イトコ同士の結婚については、
宗教としての儒教からは、乱倫も乱倫、
むしろ犯罪ですし、
お試し期間も、当然乱倫に該当します。
宗教としての儒教からフリーであった日本が、
宗教としての儒教にとらわれ、その弊害にあえぐようになったのは、
明治維新後、儒教教義の制度的裏づけである、
官僚制度、受験制度を取り入れたことによるでしょう。
宗教としての儒教にとらわれ、その弊害にあえぐようになったのは、
明治維新後、儒教教義の制度的裏づけである、
官僚制度、受験制度を取り入れたことによるでしょう。
