第5回:文豪の肖像
(H17.9.14.)
昨年、紙幣の肖像が変わりました。
新渡戸稲造と夏目漱石が退場し、樋口一葉と野口英世が登場しました。
明治の文豪としては、漱石と一葉が交代したことになります。
新渡戸稲造と夏目漱石が退場し、樋口一葉と野口英世が登場しました。
明治の文豪としては、漱石と一葉が交代したことになります。
漱石のほうが、はるかに遅く生まれた印象がありますが、漱石のほうが早く生まれており1867年生まれ、一葉が1872年(明治5年)生まれの、ほぼ同世代です。
一葉については、一葉自身の税金の記述はほとんど残っていません。
一葉の父は甲州出身の人で、株を買って徳川直参となり、維新後は明治政府に出仕し、東京府の役人となった人です。
そのため一葉の幼少時には豊かな生活を送っていましたが、一葉が17歳の時に父が病没し、それ以降は、一葉が母と妹の一家の中心として、一家の生計を立てていかなければならず、税金以前の生活の問題で苦闘していたからでしょう。
一葉の父は甲州出身の人で、株を買って徳川直参となり、維新後は明治政府に出仕し、東京府の役人となった人です。
そのため一葉の幼少時には豊かな生活を送っていましたが、一葉が17歳の時に父が病没し、それ以降は、一葉が母と妹の一家の中心として、一家の生計を立てていかなければならず、税金以前の生活の問題で苦闘していたからでしょう。
その生計のために、下谷竜泉寺町で荒物と駄菓子屋の小店を開いた時の明治26年8月8日の日記に
「八日晴れ、早朝髪をゆひて八時ごろより区役所にゆく… こひて東京府庁分署に行く。浅草南元町とて厩橋のまだ先也けり。印紙料三拾銭半年分税金五拾銭を納めて事ととのふ。」
駄菓子屋のような小店にまで、府県税としての営業税が課税されていたことが分かります。
ちなみに五拾銭は一葉の開いた小店の1日の売上高に相当します。
「八日晴れ、早朝髪をゆひて八時ごろより区役所にゆく… こひて東京府庁分署に行く。浅草南元町とて厩橋のまだ先也けり。印紙料三拾銭半年分税金五拾銭を納めて事ととのふ。」
駄菓子屋のような小店にまで、府県税としての営業税が課税されていたことが分かります。
ちなみに五拾銭は一葉の開いた小店の1日の売上高に相当します。
翌日の9日に開店した駄菓子屋は、約10ヶ月しか続きませんでした。
明治26年とは日清戦争の開戦直前の時期で、消費者物価が上昇し始めており、女性3人の家庭には重い負担となっていたのでしょう。
しかしながら、この10ヶ月の小店の営業の経験が「たけくらべ」に生かされ、5千円札につながったわけです。
明治26年とは日清戦争の開戦直前の時期で、消費者物価が上昇し始めており、女性3人の家庭には重い負担となっていたのでしょう。
しかしながら、この10ヶ月の小店の営業の経験が「たけくらべ」に生かされ、5千円札につながったわけです。
一方、漱石については、小説の中にも、あるいは、手紙や講演録でも、税金についての記述は頻繁に読み取ることができます。
父親が町方名主であり裕福な家庭であったこと、本人も教員として、あるいは、小説家として、十分成功していたからでしょう。
父親が町方名主であり裕福な家庭であったこと、本人も教員として、あるいは、小説家として、十分成功していたからでしょう。
新宿区喜久井町に夏目坂という坂がありますが、ここが漱石の生まれた場所です。
坂の名の由来は漱石を記念したものではなく、名主の夏目家から取っています。
喜久井町という名前も、夏目家の定紋「井桁に菊」からとったものです。
坂の名の由来は漱石を記念したものではなく、名主の夏目家から取っています。
喜久井町という名前も、夏目家の定紋「井桁に菊」からとったものです。
小説でもっとも有名なセリフは、「坊ちゃん」の後半の中学校と師範学校の生徒同士の喧嘩で、中学校の生徒が師範学校の生徒に「なんだ、地方税のくせに、引っ込め」と叫ぶ場面でしょう。
師範学校は授業料や寮費がただ(地方税でまかなわれる)だったことから、当時の中学生の嫉妬心の放言としてのセリフです。
師範学校は授業料や寮費がただ(地方税でまかなわれる)だったことから、当時の中学生の嫉妬心の放言としてのセリフです。
漱石の後半の小説では、財産管理や税金のことが、小説の背景を構成する大きな要素になっています。
たとえば、「こころ」では、自分と先生の対話、という形式で物語が展開されますが、
この先生は、かなりの財産家の息子であり、父母の死亡後、財産は叔父に管理され、結局ごくわずかの分配しか受けることができなかった。
ということが、重要な背景になっています。
たとえば、「こころ」では、自分と先生の対話、という形式で物語が展開されますが、
この先生は、かなりの財産家の息子であり、父母の死亡後、財産は叔父に管理され、結局ごくわずかの分配しか受けることができなかった。
ということが、重要な背景になっています。
漱石の小説は、
おそらく、中高生の時に読んだ経験があると思いますが、猫、坊ちゃん、三四郎までは面白く、それ以降の小説は…。
一定の年齢、経験を経た今、漱石の後半の小説をじっくり読むと、その印象は大きく異なって感じられると思います。
おそらく、中高生の時に読んだ経験があると思いますが、猫、坊ちゃん、三四郎までは面白く、それ以降の小説は…。
一定の年齢、経験を経た今、漱石の後半の小説をじっくり読むと、その印象は大きく異なって感じられると思います。
漱石自身の税金対する考えは健全なもので、手紙や講演録で分かります。
有名な手紙は、明治40年に朝日新聞に入社した際に、渋川玄耳に出した手紙です。
「…わが朝日新聞に於いて社員諸君は所得税に対していかなる態度をとられますか。社のほうでは一々税務署の方へ生等の所得高を通知されますか。又は税務署の方から照会又は検査に参りますか…」
有名な手紙は、明治40年に朝日新聞に入社した際に、渋川玄耳に出した手紙です。
「…わが朝日新聞に於いて社員諸君は所得税に対していかなる態度をとられますか。社のほうでは一々税務署の方へ生等の所得高を通知されますか。又は税務署の方から照会又は検査に参りますか…」
渋川玄耳に一喝された後の手紙として
「…実は今まで教師として十分正直に所得税を払ったから当分所得税の休養を仕るか、さもなくばあまり繁劇なる払い方を遠慮するつもりでした。…一喝されたため蒼くなって急に貴意に従って真直に届け出る気に相成りました。… 」
なお、時代背景としては、日露戦争の開戦が明治39年ですから、あらゆる税金の増税が行われた時期です。
「…実は今まで教師として十分正直に所得税を払ったから当分所得税の休養を仕るか、さもなくばあまり繁劇なる払い方を遠慮するつもりでした。…一喝されたため蒼くなって急に貴意に従って真直に届け出る気に相成りました。… 」
なお、時代背景としては、日露戦争の開戦が明治39年ですから、あらゆる税金の増税が行われた時期です。
それにしても、「所得税の休養」というところがいいですね。
ウイットというか、租税を回避する意思を表現するにしても、ユーモアと品格を感じる表現です。
ウイットというか、租税を回避する意思を表現するにしても、ユーモアと品格を感じる表現です。
ところで、千円札の漱石の肖像は何歳の時の写真でしょうか。
残り少ない漱石の千円札で確認してください。ヒントは、漱石は1916年に亡くなっています。
40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持ちましょう。
残り少ない漱石の千円札で確認してください。ヒントは、漱石は1916年に亡くなっています。
40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持ちましょう。
