第5回 まいまいず井戸
(H18.9.28)
井の中の蛙、大海を知らず。
かつて集落は河川からほど近い場所に定める必要がありました。飲料水を得るための井戸を掘る技術が発達していなかったのです。今日のように土木機械を使わずに土を掘るのは大変な労力です。自分の身長ほどの土を掘るだけでも、ある程度の深さになると土が崩れてくるので、掘った孔の横壁を突き固めながらでないと、崩れてくる土を掻き揚げる作業に終始してしまい、深く掘り下げるどころではありません。

孔壁の崩落を防ぐもっとも簡単な方法は、垂直の筒状に掘削するのではなく、孔壁が斜めになるよう掘削する範囲を広くすることです。動かす土量が莫大なので時間はかかるものの、小さなエネルギーでこつこつと作業を進めれば、安全に水脈に到達できます。
東京都羽村市には鎌倉時代以前に建造されたとされる「まいまいず井戸」という遺跡があります。マイマイといえばカタツムリのことですが、この井戸はまさにカタツムリの殻のような渦巻き状に水源まで下る道が付けられていて、あたかもすり鉢のへりに沿うように掘り進んだ形跡が明らかです。最下点に到達しても水脈が出ない場合は、いったん地上に引き返して、さらに一回り外側を広く掘り、はじめからやり直すのです。気の遠くなるような根気の要る作業を繰り返すことで、いつかは水脈を掘り当てることができるというわけです。
※写真の出典:三鷹市立井口小学校ホームページ
※写真の出典:三鷹市立井口小学校ホームページ

この井戸を実際に見たときに考えたことがあります。先人の知恵の素晴らしさは言うに及びませんが、「専門家」というのは狭い範囲の視野しか持てないために、いくら専門だからといって案外その分野を深くまで掘り下げられないのではないかということです。専門以外の事象にまで関心を示し、他の分野を参照しつつ積極的に取り込んでこそ、画期的なブレークスルーが天啓のごとく訪れるのではないか。
風船を膨らませると、中の空気の量が増えた分だけ風船が接している表面積も大きくなります。専門知識の総量が大きくなればなるほど、必然的に専門以外の領野に接することになるわけです。知れば知るだけ、余計に知らないということも増えるのです。ソクラテスの「無知の知」とはそのようなことを言うのでしょうか。

地盤工学は理系の専門領域だという印象があります。しかし、なかなか守備範囲は広くて、一方でプレートテクトニクスなどの地球物理学で地震を説明する場面があるかと思えば、植物の根の生える深さを考慮して伐採後に鋤き返された地盤の転圧方法を考えるとか、土木機械の油圧、トルクなんて話もあります。それだけでも手一杯なところへ、地理学や地図学、ときには歴史など文科系の知識もおさえておかねば、データの解析ができないことがあります。わたしのようにいつも足元の地盤ばかりを見つめて、狭く浅い井戸を掘り返しているだけでは、深々とたっぷりの井戸を掘るのはいつのことやら、という感じですが、まいまいず井戸はそんな思いに勇気を与えてくれるのです。
